大東亜戦争を始めた理由
2015.12.08
74年前の昭和16年12月8日、大日本帝国は米英に宣戦布告した。4年後日本は絶滅のきわ迄追い詰められ敗戦する。なぜそんな戦争を始めたのか?最近色々と調べて自分なりに考えてみた。結局グローバル資本に対する不義理が原因という結論に至った。

現在香港のジャーディンハウスという高層ビルにヘッドオフィスをもつジャーディンマセソン商会もグローバル資本の一つ。19世紀半ば彼らはアジアを植民地化して資源や農産物を収穫していたが、日本では日本人に産業を起こさせるビジネスモデルを展開した。有能な若者をロンドンに留学させ新政府を建てさせ産業を起こさせた。伊藤博文や井上馨を船に乗せロンドンで面倒を見たのはジャーディンマセソン商会で、新政府に資金を融資したのはグローバル資本が協同で設立したHSBCだった。新政府はグローバル資本から借金をして武器を買い戦争をし産業で得た富で返済する。このモデルは成功し日本はロシアとまで戦争をする様になり、戦費の半分はグローバル資本が出資していた。

新政府樹立以来40年続いたビジネスモデルに転機が訪れる。ハリマン事件だ。日露戦争で賠償金を取れなかった日本にとって満州の利権獲得は唯一の成果だった。日露戦争の戦時公債を引き受けていた資本家の一つ鉄道実業家ヘンリーハリマンは日本政府と満州鉄道共同開発の契約を結ぶ。それはハリマンにとって大金をはたいて達成した重要な目的だったはず。ところが小村寿太郎がその契約を反故にしてしまう。日露戦争で日本に出資する事はかなりリスクが高かったはず。ハリマンは金利だけでなく満州鉄道の開発が有るからこそ投資したはずだ。それを断ってしまったのだ。ここから日本は坂道を下り出した。

それまでグローバル資本に借金を返済する為に働いていた日本が、満州を使って借金せずに自分達で富を蓄積し始めた。その後もシベリア出兵や第一次大戦で米英側につき戦争の支援を受けるが、その裏で1920年にアメリカは日本との戦争の計画を立てている。軍縮会議で海軍力を削ぎ、国際連盟で満州支配を攻撃し、グローバル資本はアメリカを使って日本の満州利権独占に対して経済制裁、鉄の禁輸、石油の禁輸などの制裁で追い詰める。ギリギリの譲歩で泣きつく日本に対してアメリカはハルノートで最後通牒を突きつけ、そして日本はやむなく戦争を開始する。日本の宣戦布告を受けてルーズベルト大統領は喜びホワイトハウスで側近と祝杯を上げたと言われている。これで日本が持っている利権が手に入るという事だろう。

19世紀欧米列強は既にグローバル資本の手中に有った。明治になって日本もその仕組みに組込まれた。どこの国もみなグローバル資本に借金を返済していたが、日本はそこから抜けようとして戦争で元に戻されたのだった。
始まりは真珠湾では無かった
2015.12.05
ちょっと早いけど12月8日は大東亜戦争開戦の日。太平洋戦争はアメリカがこの戦争を語る時の呼び名だし、第二次世界大戦はヨーロッパの戦争も含まれる。日本は当時この戦争を大東亜戦争と呼んでおり、私は日本人なのでこの戦争を大東亜戦争と呼ぶ事にした。

日本軍による真珠湾攻撃は知っていたけれど、同時にマレー半島で上陸作戦が行われた事を私は今まで知りませんでした。奇襲攻撃は同時に開始する必要があり、同日のハワイが早朝でマレーが深夜のタイミングとなったそうです。実際には真珠湾攻撃よりも1時間20分早くマレー半島のコタバルで上陸作戦が開始された。実はその前日12月7日の午後に日本陸軍上陸部隊の大船団を発見したイギリス軍の偵察機が日本軍により撃墜されており、それが一番最初の米英軍側の被害だった。

コタバル上陸後、日本軍は破竹の勢いで進軍し東南アジアからイギリス軍、オランダ軍、アメリカ軍を追い出した。フランス軍は日本と戦う前にドイツに破れ撤退していた。シンガポール攻略で日本の戦死者が約1,700名に対してイギリスは5,000名、捕虜は10万人に及びイギリス軍史上最大の降伏となった。その後香港も陥落しイギリスの植民地帝国は崩壊した。戦後日本軍が撤退し再びイギリスの植民地となるが、同じアジア人の日本軍にイギリス軍やオランダ軍が叩きのめされたのを目の当たりした現地の人々の間には民族主義が盛り上がり、戦争で疲弊したイギリスにもはや遠くの植民地を維持する力は無くなり、東南アジアの国々は独立してゆく。

戦争はすべきでないし、当時の日本軍が行った事を正当化するつもりも無い。大東亜戦争により多くの命が亡くなった事はとても残念だ。しかし、日本がイギリス軍と戦った事が後の東南アジアの国々の独立に役立ったのはせめてもの救いかも知れない。
トルコ侵犯機撃墜の裏側
2015.12.04
トルコが露軍機を撃墜した時、露軍機がトルコ領空を侵犯したのは17秒間だったらしい。明らかな脅威とは言えない侵犯機の撃墜は国際法違反とのこと。さらに、衛星写真の分析でISISなどテロリストの油田から原油を積んだタンクローリーがトルコに原油を密輸しているのが分かった。しかもエルドアン大統領の息子の会社がその原油を産地偽装して外国に売って儲けている。

NATOに加盟した時トルコの政権は世俗派だった。しかし今の政権はイスラム教なのでNATOとの距離も微妙。日本には何かと縁のあるトルコを応援したいところだが現政権のままでは状況は厳しそうだな。
勤労感謝の日
2015.11.23
勤労感謝の日をWikipediaで調べてみた。元は五穀の収穫に感謝する新嘗祭と言う日だったそうです。本日爆発事件のあった靖国神社では新嘗祭が行われている最中だったとさっきテレビで報道されていました。それが何故勤労感謝の日になってしまったのか?これも天長節と同じで戦後GHQが天皇行事からの切り離しの為名前が変えられたそうです。恥かしながら今日まで知りませんでした。
明日11/3は文化の日
2015.11.02
子供の頃「文化の日って何なんだろう」と漠然と考え大人になっても特に由来を気にした事は無かった。Wikipediaで調べてみたら、昭和22年に日本国憲法が制定された日だそうです。では何故憲法記念日でなく文化の日なのか?

明治時代11月3日は天長節即ち天皇誕生日だった。大東亜戦争が終わり日本国憲法を制定する際、憲法記念日を明治天皇の誕生日に合わせようとしたがGHQが強硬に反対し、半年後の施行日5月3日を憲法記念日とする事になったそうです。で、制定日には憲法という言葉を含まない文化の日という名前になったそうです。GHQが日本人の心から戦前の政府の影響を消そうとした取り組みの痕跡がこんな所にも残っていたとは、しかも今までそれに気が付いていなかったとは・・・
映画「ひろしま」
2015.09.19


この映画の存在を今日知った。一般にどの位知られているのだろうか?予告編だけでも原爆の悲惨さが伝わってくる。はだしのゲンよりも原爆の被害を直接的にしかもリアルに表現されている感じがする。是非本編を見てみたい。終戦8年後に撮影された事も驚きだし9万人の広島市民が撮影に参加した事を考えると、半分ドキュメンタリーと言っても良いんじゃないかという気さえする。GHQが上映を許すはずが無かっただろうし、よく予告編だけでもこうして残っていたなと思う。広島の平和祈念館で常時上映すれば良いのに。
平成27年内閣総理大臣談話
2015.08.20
まるで近現代史の要約のようだが、世界に発信し皆が共有すべき認識の基礎としては良く出来た文章だと思う。村山富一の50年談話は敗戦国としてのお詫びや反省が主、小泉純一郎の60年談話は日本の同胞も含めアジア諸国の犠牲者への哀悼と未来志向の内容で、いずれも戦後しか取り上げていない。安倍晋三の70年談話は日露戦争や欧米列強によるアジア植民地支配を話の起点としているところが過去の談話と大きく違う。日本が戦争でした事を表面的に謝罪するのではなく、欧米の植民地支配のせいでアジアは戦争に巻き込まれたという客観的な認識を示しており、これを明文化して日本政府の公式見解として世界と共有するという事は、日本の外交にとても大切な事だと思う。

平成27年内閣総理大臣談話
山本五十六はスパイだった!?
2015.08.15
終戦記念日が近くなり先の戦争について色々調べ山本五十六についてある仮説に至った。それは山本五十六と参謀長の宇垣纏(うがきまとめ)はアメリカのスパイだったという説だ。実際、山本の行動には幾つか疑問が残っている。何故山本は緒戦を真珠湾攻撃に固執したのか?率先して航空戦力の重要性を説いていたのに真珠湾攻撃では敵空母の存在を知りつつ何故それを叩かずに撤収させたのか?敵の情報も乏しく自分の海軍の準備もおぼつかないのに何故ミッドウェー攻撃に固執し決行したのか?何故彼は戦争中に暗殺されたのか?山本の直接の死因は墜落ではなく拳銃で撃たれたのではないか?などなど。そこでもし彼らがアメリカのスパイならと考えてみたら、これらの疑問を全て解く事が出来た。山本五十六の死に方を想像していて数年前に毎日観ていたCIAもののドラマを思い出した。そのドラマ風に山本五十六暗殺までのストーリーを考えてみた。

山本五十六は海軍に入隊してすぐハーバード大学に留学しその後駐在武官として再び渡米している。宇垣纏は駐在武官としてドイツに2年間駐在した。彼らは海外駐在の間にアメリカの諜報部と接触しスパイとなる。帰国後アメリカの国益の為に日本政府の中枢で日独伊三国同盟や対米開戦に反対する。アメリカは孤立主義から方向を変え日本と戦争をする事に決める。ルーズベルト政権はアメリカ国民の対日憎悪を煽り対日開戦の支持を得る為、日本帝国海軍に真珠湾の米海軍基地を攻撃させる計画を立て、それが山本と宇垣に伝えられる。当時日本ではまずフィリピンの米軍を攻撃するという意見が大勢だったが、山本はがんとして真珠湾攻撃案を通す意思を曲げなかった。それはアメリカから受けた命令を遂行する為だった。

真珠湾攻撃当日、肝心の空母が基地に居なかったので空母を探して叩くべきと本国から言われたが山本は取り合わなかった。なぜなら空母は避難させて温存しておくのがルーズベルトのプランだったからで、山本はそのプランに沿って作戦を実行したのだった。

宇垣纏は日米開戦直前から戦藻録と題した日記をつけ始め終戦の8月15日まで書き続ける。それは宇垣のスパイとしての報告書で、万が一見つかってもバレないよう日記の形式で書いていたのだった。アメリカの最初の東京空襲の2ヶ月前、彼はアメリカによる東京空襲の可能性についてその日記に書いていた。彼はアメリカからの情報で東京空襲の作戦を知っていたから書けたのだ。

アメリカは日本との戦争終結に向けて動き始め、日本帝国海軍の主力空母をミッドウェーに集めて壊滅させる作戦を立てる。山本は真珠湾の時と同じようにアメリカの作戦に沿う為に大勢の反対を押し切ってミッドウェー海戦に突入する。この時日本帝国海軍はアメリカ海軍がどこにどのくらい居るのか全く知らずに向かった。そして結果はアメリカの計画通り日本帝国海軍が惨敗する。

山本は万が一アメリカに裏切られた場合に備えてイ400型潜水艦でワシントンDCを直接攻撃可能にするという保険を掛けていた。山本はこれをアメリカに秘密にしていたので終戦まで連合国側はイ400潜水艦の存在を知らなかった。しかしイ400の完成は間に合わなかった。ミッドウェーで日本帝国海軍が壊滅しアメリカにとって山本の存在は不要となりアメリカは山本の暗殺を計画する。山本は暗殺を恐れ後方から指揮を取るようにしていたが、アメリカから山本暗殺の命令を受けた宇垣は山本を説得して前線の兵士を慰労する為としてラバウルに誘き出す。山本のラバウル訪問の情報は長文で詳細に打電された。その2週間前に帝国海軍は暗号の乱数表を変えたばかりで暗号は解読されていないはずだった。しかしその電文は何故か古い乱数表を使って打電された為アメリカに解読されていた。それは宇垣が山本の行動をアメリカに知らせる為にやらせたのだった。

当時ブーゲンビル島周辺は日本が制空権を握っていたが、山本の行動の詳細を知っていたアメリカ軍は意表をついて遠方から高高度を飛べるP-38で現場へ向かい山本が乗った一式陸攻を撃墜する。同乗していた高田六郎軍医長もアメリカのスパイで、彼は墜落後まだ生きていた山本の頭を拳銃で撃ち止めを刺した。宇垣が乗った2番機も撃墜されるがこれはカモフラージュで、海岸近くに不時着してパイロット1人り以外は生還している。宇垣は山本の死を確認し山本の遺骨と共に戦艦武蔵で内地に帰還する。

その後宇垣は司令官や艦隊長官を勤めるが、玉音放送後に周囲の制止を押し切って特攻隊に混じって彗星艦上爆撃機で大分から沖縄へ向かって飛び立つ。沖縄県伊平屋島の海岸に張られていた米軍のテントの近くに宇垣が乗っていた可能性が高い彗星が墜落し二人の遺体が収容されたとされているが、それが宇垣だったとは日本側によって公式に確認されておらず彼の死亡は不明とされている。実はそのテントは宇垣を回収するためにアメリカ軍が設営したもので、宇垣は無事収容されアメリカに渡り別人としてその後の人生を送った。

日本帝国海軍の高官にアメリカのスパイが何人もいるはずが無いと普通は思うだろう。私も以前は想像もつかなかった。しかし、ヴェノナを読んで常識がひっくり返った。第二次大戦前から大戦後までの間、アメリカのホワイトハウスや政府には少なくとも200人を超えるソビエトのスパイがいたという事実が判明している。ルーズベルトの側近にもソビエトのスパイが数人おり、ルーズベルト自身もスパイだったのではと言われている。なのでヴェノナの内容は当時大統領にも知らされていなかった。アメリカがそんな状況なのだから、大日本帝国の政府にアメリカのスパイが数人くらいいてもなんの不思議も無い。もしかすると特攻も大日本帝国の軍隊を根絶やしにするアメリカの工作によるものだったかも知れない。
長崎平和祈念日
2015.08.09
何度も映画化された「猿の惑星」は作者が東南アジアで日本軍の捕虜になった時の体験がモチーフとなっている。アングロサクソンはアジア人を同じ人間とは思っていなかった。だからアメリカは日本に原爆を落とす事に躊躇しなかったのでは?と思う事がある。しかし、長崎は江戸時代からキリスト教徒が多く、カトリックの教会が沢山ある。アメリカ軍は異教徒の猿たちを原爆で攻撃したつもりだったのが、被爆後の長崎に行ってみたら立派なロマネスク様式の教会や聖母マリア像が無惨に破壊され、自分たちと同じキリスト教を信じる人たちが凄惨な目に遭っていたのだった。アメリカがこの事実を隠そうとした事は想像に難くない。浦上天主堂を広島の原爆ドームの様に壊れた状態で保存すべきという意見が多かったにも拘らず、戦後たった13年で奇麗に再建されたのにはきっと圧力が有ったのだろうと思う。長崎で被爆された方々のご冥福をお祈りします。
広島平和祈念日
2015.08.06
八月六日は広島がアメリカ軍に原子爆弾で爆撃された日。私は広島にゆかりも無く親族に被害者もおりませんが、被害に遭われた方々の事を思うと胸が詰まります。この日二十万人に及ぶ方々がとても悲惨な目にあい亡くなられた事、それは天災でなくアメリカ軍が故意に一般市民に対して行った攻撃であった事を忘れてはいけない、と私は毎年この日に心に刻む様にしています。被害に遭われ亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
辺野古米軍基地移設
2015.06.23
今日は沖縄の「慰霊の日」。70年前、米軍との戦闘で亡くなった沖縄の方々のご冥福をお祈りします。私は横須賀で生まれ育ったので米軍基地と共存する生活に違和感は無い。沖縄の人々もきっと同じだろうと思ってきたが、普天間の辺野古移設の問題によって沖縄の人々の基地に対する気持ちは大きく変わったのではないだろうか。もし米軍が「厚木や横田では足りないので、鎌倉の海を埋め立てて滑走路を作る」と言い出したら、私は怒り心頭で大反対運動を起こすだろう。そういう事が今沖縄で起きていると思うと、これは単なる基地問題におさまらないのではないかと心配になる。
世界情勢のシナリオ
2015.06.22
1990年代前半の冷戦構造が崩壊し始めた頃、アメリカの元国務長官キッシンジャーが「これからの戦争は世界各地でのテロリストとの小規模な戦争になる」のような事を話していた。そしてこの20年間その通りになった。キッシンジャーのあの言葉は彼の予測ではなく彼らの予定だったのだと最近思う。そしてまた世界情勢が変化しはじめている、というか変化させられていて次の形態は多極化らしい。そして日本はその一極を担わされようとしているらしい。

その説を知って幾つかの疑問が解けた。一つは自衛隊の時期主力戦闘機の開発を国産にしようとしているのにアメリカが圧力を掛けて来ない事。F-2の時はさんざん圧力をかけられて結局アメリカの言いなりになった。それが今回は全く何も無い。もう一つは集団的自衛権で海外でも軍事活動を出来るようにしようとする事にアメリカが何も文句を付けない事。自衛隊の動きは米軍に把握されているとは言え、マッカーサーの占領以来ずっと続けて来た日本が自発的に戦争を出来ないようにする方針に反するはずなのに容認している。さらに日本が兵器産業を増進して輸出までしようというのにアメリカは黙っている。すべて日本を多極化時代の一極にしようしている話しと辻褄が合う。

ヨーロッパに目を向けると、6/11付けの日経にドイツ、オランダ、オーストリアの中央銀行が第二次大戦以降ずっとアメリカやイギリスに預けてあった金塊を昨年11月から自国に移送し始めているという記事があった。各国が自国に金塊を置かなければならない状況が近い将来起きると想定しているとしら、それはどういう状態なのか。もし分散された金塊の保管場所と多極化時代の各極が一致するならば、通貨の信用が無くなる事態が想定されていると言う事か。そしてそれも想定ではなく予定なのではないかと最近考えている。
共産匪賊とISIS
2015.03.09
少し前に日本映画専門チャンネルが李香蘭を特集していて3本ほど観た。そのうち「熱砂の誓ひ」という映画は1940年、日米開戦の1年前の公開で、中国大陸に長大な舗装道路を敷く日本政府の若い役人が主人公だ。誠実な彼が現地の大地主の信頼を勝ち取り用地買収に成功したり洪水にも打ち勝ちながら道路を完成させるという荒筋。映画では中国の建設省が協力し本物の役所を使って日本人と中国人が一緒に仕事をしている。そして主人公が北京や万里の長城などを観光するシーンもあり、当時北京周辺は日本の支配下にあった事が分かる。なんで戦争中にこんな平和な映像が撮れるのか不思議だ。もちろん映画の中に戦闘シーンはあるが、それは僻地の工事現場に時折現れる共産匪(中国共産党ゲリラ)の襲撃に応戦するものだけ。

大日本帝国の国策映画なので偏った描写なのかも知れないが、映画の中で共産匪は中国人にとっても山賊のような存在として描かれている。その山賊のような共産匪を率いたのが毛沢東で、共産匪は後に中華人民共和国の共産党になる。今や経済力で日本を追い越した中国の支配政党は70年前ゲリラだったのだ。とすると今はゲリラのようなISISも、もしかすると70年後に大国になっている可能性も否定出来ないという事か!考えただけでもぞっとする。
紀元節
2015.02.11
今日は建国記念の日、今年は紀元2675年です。この年数の信憑性は分かりませんが、日本はだいたいこのくらい続いているのだという目安にはなります。明治政府が紀元節を制定し、戦後GHQが廃止させ、昭和42年に建国記念の日として復活した。今日はそれらの出来事の背景について考えてみようと思います。
進化する国の形
2014.09.20
今から20年以上前、大学の卒業旅行に友人と二人でヨーロッパを車で旅した。当時まだEUが無く初めて車での国境越えや通貨の両替を体験した。ある日地中海沿いにフランスからスペインへ向かう国境近くのペルピニャンという町のユースホステルに泊まった。そこに泊まっていたフランス人の学生からその地方では昔Catalanという言語が話されていたという話しを聞いた。彼女はその言語をはなしていた古代国家の研究の取材でそこに長期滞在していた。スペインのバルセロナ辺りをカタルーニャ州というのはその国の名残らしい。スコットランドに続きカタロニアも独立賛否を問う住民投票を考えているというニュースを読みペルピニャンを思い出した。

今シェンゲン協定国内を旅するとまるで同じ国のようで、国家の形態の進化形を見た気がする。そしてこの先EUはさらに広がって国境が全て無くなるのが世界の究極の姿かと思う。スコットランドやカタロニア、その他の地域の独立しようとする動きはこの進化に逆行するものに思えたが、独立後にEU加盟を考えているし、もしかするとこれは更なる進化への動きなのではないかという気がして来た。EUという大枠は同じで内部の行政区画の分け方を変えるだけ。同じ言葉を話す同じ民族が暮らす地域をその民族が自治する。その自治区を束ねるのがEU。というのが次の進化形なのかも?
長崎平和祈念日
2014.08.09
今日は長崎がアメリカ軍による原爆の攻撃を受けた日。ある説によれば爆撃で直接犠牲となった方の数は約7万人、その後数年の間に放射線障害など二次的な被害で犠牲となった方の数は約14万人、合計すると約20万人以上の方が一発の爆弾の犠牲となり、三日前の広島ではそれを上回る数の犠牲者が出たそうです。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

子供の頃から毎年原爆記念日の行事をテレビで観てきた。今年も例年と同じように厳粛な式典が行われている。この式典を観ていて如何にも日本らしいなと思う事がある。それは甚大な被害を受けたにも拘らず、加害者への憎しみや責任追及の態度が一切表れない事。かの国では不確かな情報をあたかも事実のようにして、戦争で同胞を何十万人も殺した敵国が憎い、責任を取れ!と、国家元首が他の国に行ってまで喧伝しているというのに、日本では数十万の一般市民を一瞬にして殺戮されたというのに、テレビやラジオでアメリカが憎いとか、アメリカの責任を追求する言葉を聞いた事が無い。

それは日本人が奥ゆかしいからでは無いだろう。なにしろ日本人は昭和20年までは鬼畜米英と言って一般市民も竹槍で毛唐を突き刺す訓練をしていたくらいなのだから。私の親類には戦争の犠牲になった者がいないので分からないが、もし自分の親兄弟が空襲や原爆で死んでいたら私はアメリカに対する憎しみを持っていたと思う。東京や大阪だけでなく200以上の町が空襲を受けたのだから、アメリカが憎いと思っていた人は何百万あるいは何千万といたのではないか。それなのに日本では一般のメディアで決してそういう言葉を目にする事が無い。それはアメリカが日本占領後に行ったプログラムが成功し未だに効果を発揮している事の表れであろう。

広島市は10年前からアメリカの大統領に平和記念式典への参列を要請しているが未だにかなっていないそうです。招待された方も対応に困っているに違いない。中国の南京市が南京大虐殺の記念式典をするので日本の天皇陛下に参列を要請するのと同じと例えると分かりやすい。もし将来アメリカの大統領が広島の記念式典に参列したとして、彼は自分たちが虐殺した人々の霊を前に何を祈るのか?広島市役所の方は式典でアメリカの大統領に何を期待しているのか?核廃絶を訴えるのが趣旨だそうですが、その前に広島や長崎の人々を殺した事に対する態度の表明が必要なはず。中国や韓国のように今更責任を取れとは言わないまでも、もし自分の親族が原爆で死んでいたら、それに対する謝罪もなく広島でアメリカの大統領が平和を訴えるなど許されるはずが無い。そこの所を広島市役所はどう考えているのだろうか?

いまさらアメリカが憎いとか責任を取って賠償しろなどとは思わない。しかし多くの一般市民を虐殺した事に対して謝罪を求める態度は示すべきと思う。広島や長崎の犠牲者にアメリカの大統領が謝罪する事は、アメリカにとって日本との戦争の正当化を覆す事になるのでまずあり得ないだろう。もし広島市がそう言う事を見越して平和ボケしたふりをしてアメリカ大統領を参列させることで、まるで謝罪をしたように見せてしまおうとしているとしたら、それはそれでもの凄い事だが・・・ないだろうな。
天皇とビンラディン
2013.12.07
明日、12月8日は真珠湾攻撃の日です。私が真珠湾攻撃に初めて関心をもったのは911テロの直後でした。当時私はアメリカに住んでいて、車のラジオから毎日オサマビンラディンの話題が流れていました。そして必ずと言っていいほど昭和天皇と真珠湾攻撃が引き合いにだされていました。なぜならアメリカの領土を攻撃した事があるのはアルカイダと日本帝国海軍だけだからです。彼らは攻撃で受けた被害だけを捉えてアルカイダや日本帝国を悪だと決めつけ、なぜアルカイダや日本帝国が勝てないと分かっているのに攻撃せざるを得ない状況に至ったかは語りませんでした。親米教育を受けてきた私に取って、昭和天皇がビンラディンと並べられて語られるのに違和感を覚えました。でも彼らにとっては同列だったようです。

彼らがこの二人を同列にするのと理由は違いますが、色々と調べているうちにアルカイダと日本帝国には共通点が有る事が分かってきました。大雑把に言えばどちらもアメリカの支援を受けて軍事力をつけ、アメリカによって窮地に追い込まれ、アメリカと戦って叩きのめされ、アメリカによってリーダーたちが処刑されたという事です。アメリカだけでなく大国はみな同じ様な事をしており、この数百年間世界の様々な国や地域で同じような事が繰り返されてきました。以前は武器産業界が武器の消費を増やして儲けたいというのが戦争が起こされる動機かと思っていましたが、どうやら世の中はそう単純では無いようです。アメリカの大統領ですら表舞台の役者でしかなく、大衆には見えない所で世界を動かす裏舞台があるようです。

先月ケネディー大統領暗殺から50年という日があり、その前後に誰が首謀者か色々と考えてみました。ケネディーはマフィアと繋がっていたFBI長官を更迭、CIA長官を更迭、世話になったマフィアのボスたちを裏切る、などなど暗殺の動機を持った人が多すぎ回答は出ませんでした。しかし、それは首謀者=人間だと思っているから回答が出ないのではないかと思うようになりました。これより先はまだ調査中です。アメリカ大統領の暗殺もアメリカによって起こされる戦争も、動機は同じ所で生まれているのかも知れません。

確かに大東亜戦争は日本が最初に宣戦布告をしましたが、それは望んでした事ではなく、欧米によってそうせざるを得ない状況に追い込まれてした事です。戦後GHQによって「好戦的で凶悪な日本人が世界制覇の野望を抱き周辺諸国を侵略した」という考えが広められ、今でも中国と韓国ではそれを拠り所に反日運動が展開されていますが、それはまったく太平洋戦争を起こした首謀者の思うつぼです。過去百年間にアジアで起きた事実を並べて客観的に考えれば、アジアの人々が本当に持つべき共通の認識が見えてくるはずです
終戦の日に思う事
2013.08.15
アメリカがイラクと2回目の戦争を始めた時、私はアメリカに住んでいました。スポーツバーの壁にかけられたテレビにホワイトハウスの執務室にいるブッシュ大統領が映し出され、これからイラクと戦争をすると演説をしていました。スクリーンの映像が赤外線カメラで撮られた緑色がかった夜のバグダッドのライブ映像に替わり、暫くするとイラク軍がアメリカの戦闘機を迎え撃つ無数の弾丸の光で夜空が埋め尽くされました。それを見てスポーツバーにいたアメリカ人たちは拍手をして歓声を上げました。まるでフットボールの試合でも見ているかのように。その後アメリカ軍によりフセイン元大統領は逮捕され、屈辱的な姿を世界中に晒されすぐに処刑されました。私が勤めていた会社の現地社員の中にはフセイン元大統領は悪の親玉なので処刑されて当然と言う者もいました。彼らは会った事も無い人を心の底から悪人だと信じていました。しかし、その戦争を始めた理由でありフセイン元大統領を処刑した根拠である大量破壊兵器は存在しませんでした。大量破壊兵器は建前の話で戦争の本当の理由はイラクの石油の利権の奪取でした。アメリカが独占していた利権の期限がせまり、期限が切れた後フセインはロシア、中国、フランスなどにも利権を分ける話をしていたので、そうなる前にアメリカは手を打ったのです。フセインから石油の利権を得るはずだった各国は、イラクがアメリカに侵略されフセインが処刑されるのを座して見守るしか有りませんでした。

70年前アメリカが日本と戦争をした理由は利権の獲得では無く、将来自分の利権を脅かす可能性の在る国を壊滅させる事でした。だから講和はあり得ず、二度と戦争をする事が出来ないように日本を完膚なきまでに叩きのめすのが目的でした。世界をリードする国際連盟の常任理事国だった日本は戦後一転悪の象徴にして餓死寸前の貧しい国となりました。アメリカは東京裁判で「日本人は好戦的民族で世界制覇をもくろみ周辺諸国を侵略した」という理由で戦犯を処刑しました。戦争で負けた国を率いていた者が勝った国に殺されるのは歴史上繰り返されてきた事です。しかし、適用する法律も無いのに戦争で負けた国の者を犯罪者として裁くのは合理的な根拠が見つかりません。アメリカが東京裁判で戦争犯罪人を裁いたのは、日本と戦争をした目的を正当化し後世の日本人や世界中の国々の人々に悪の印象を植え付ける事が目的だったのです。私は物心ついたときからアメリカは正義で戦前の日本は軍国主義に覆われた暗黒の時代だと思い込んでいました。いつの間にかそう刷り込まれていたのです。しかし、歴史を知れば知るほど自分の持っているイメージと戦前日本の歴史が噛み合なくなりました。そしてアメリカに住みアメリカという国に興味を持ち色々と調べて行くうちに自分が間違った知識を持っていた事に気がつきました。ここでアメリカを批判するつもりは有りません。ロシアも中国もフランスもイギリスみな同じような事を今でも世界で展開していますし、日本も明治から終戦までアジアで同じ事をしていました。

恥ずかしながら学生の頃は歴史なんて自分とは縁の無い遠い世界の話と思っていましたが、今では自分の生活に直結していると考えるようになりました。歴史は社会の一つの側面であり、政治や経済とも密接に結びついています。出来るだけ多くの人たちが正しい知識を持つ事が、社会を良い方向へ進めて行く力になるのだと思います。誰かが言っている事を信じるのではなく、客観的な事実だけを並べて合理的な判断を下せば誰もが納得する共通の認識を持てるはずです。自分の国に誇りを持って生きて行ける社会を築いて行きたいですね。今日は終戦記念日。戦争にまつわる事を自分なりにいろいろと考えてみようと思います。

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