鈍行列車
2015.12.30
私が小学生の頃だから今から40年くらい前の事、浜松の祖父母の家に鈍行列車で行った事が有った。覚えているのは冷凍ミカンとプラスチックの容器にお湯とティーバッグが入ったお茶と窓の下に有ったタバコの吸い殻入れ。シートはボックス席でいつ弁当を食べても良かった。大きな駅のホームにはまだ弁当売りが居た。高校3年の時に四国へ旅行するのに東京発大垣行きの夜行列車に乗った。沼津を過ぎるまでは酔っ払ったサラリーマンでぎゅうぎゅう詰めだった。静岡を過ぎ皆眠りこけた頃になると如何にも置引らしき奴が何度も通路を行き交い盗む物を物色していた。

今回伊勢神宮へ行くのに大垣行きの夜行列車に乗ろうとしたら随分前に廃止になり、季節限定のムーンライトながらという全席指定の特急になっていた。席を調べたがすでに売切れており仕方なく行きは新幹線にした。帰りは鈍行列車でのんびりとビールでも飲みながら富士山を見ながら帰って来ようと思ったら、名古屋から熱海まで車両は通勤列車タイプで常に満員だった。ガラガラのボックス席で独り酒を飲みながら帰ろうとした私のイメージしていたのどかな東海道線は何処にも無かった。
F-35のライバル
2015.12.23


ステルス性能を持った第五世代の戦闘機F-35の組立てが日本でも始まりました。F-35を見るといつもあるテレビ番組を思い出します。それは十数年前F-35の採用が決まった頃、アメリカのディスカバリーチャンネルで放送しいていたもので、コンペに応募したボーイングのX-32とロッキードマーチンのX-35両方の開発開始から完成までの様子のドキュメンタリーでした。両機の決定的な違いは垂直離着陸の機構にあります。B社のX-32はAV-8でも使われているジェットエンジンの排気を複数のノズルから下向きに噴射するものでした。この技術は1960年代に既に実用化されています。それに対してX-35はエンジンのノズルを下向きに変え、さらにエンジンの回転で機械的にコックピット後部に配置した大きなファンを回して下向きに風を吹き出す新しい技術を採用しました。

X-32の従来方式は地面近くのホバリング時にノズルから出た排気が地面で跳ね返りエンジンの吸気口から排気を吸い込んでしまいチョーキングを起こしエンジンが停止してしまう問題がある事が知られていました。X-35の方式は機械的に回すファンで空気を吐き出すのでそれがエンジンの吸気口に入っても全く問題が無いのです。X-35はこの新技術を実現する事でアメリカの空軍、海軍、海兵隊の全てで使用、ステルス性能、マッハ1以上で飛行、ドッグファイト、爆撃、垂直離着陸の全てが出来る事、という無茶苦茶な要求に応える事が出来たのです。

新技術の素晴らしさもさることながら、もう一つ印象的なのは外観です。X-32はお世辞にもカッコ良いとは思えませんでした。ガマガエルがノドを膨らませたような格好は滑稽としか言いようが有りません。日本でも採用が決まった事を考えるとX-35がコンペに勝って本当に良かった。
大東亜戦争を始めた理由
2015.12.08
74年前の昭和16年12月8日、大日本帝国は米英に宣戦布告した。4年後日本は絶滅のきわ迄追い詰められ敗戦する。なぜそんな戦争を始めたのか?最近色々と調べて自分なりに考えてみた。結局グローバル資本に対する不義理が原因という結論に至った。

現在香港のジャーディンハウスという高層ビルにヘッドオフィスをもつジャーディンマセソン商会もグローバル資本の一つ。19世紀半ば彼らはアジアを植民地化して資源や農産物を収穫していたが、日本では日本人に産業を起こさせるビジネスモデルを展開した。有能な若者をロンドンに留学させ新政府を建てさせ産業を起こさせた。伊藤博文や井上馨を船に乗せロンドンで面倒を見たのはジャーディンマセソン商会で、新政府に資金を融資したのはグローバル資本が協同で設立したHSBCだった。新政府はグローバル資本から借金をして武器を買い戦争をし産業で得た富で返済する。このモデルは成功し日本はロシアとまで戦争をする様になり、戦費の半分はグローバル資本が出資していた。

新政府樹立以来40年続いたビジネスモデルに転機が訪れる。ハリマン事件だ。日露戦争で賠償金を取れなかった日本にとって満州の利権獲得は唯一の成果だった。日露戦争の戦時公債を引き受けていた資本家の一つ鉄道実業家ヘンリーハリマンは日本政府と満州鉄道共同開発の契約を結ぶ。それはハリマンにとって大金をはたいて達成した重要な目的だったはず。ところが小村寿太郎がその契約を反故にしてしまう。日露戦争で日本に出資する事はかなりリスクが高かったはず。ハリマンは金利だけでなく満州鉄道の開発が有るからこそ投資したはずだ。それを断ってしまったのだ。ここから日本は坂道を下り出した。

それまでグローバル資本に借金を返済する為に働いていた日本が、満州を使って借金せずに自分達で富を蓄積し始めた。その後もシベリア出兵や第一次大戦で米英側につき戦争の支援を受けるが、その裏で1920年にアメリカは日本との戦争の計画を立てている。軍縮会議で海軍力を削ぎ、国際連盟で満州支配を攻撃し、グローバル資本はアメリカを使って日本の満州利権独占に対して経済制裁、鉄の禁輸、石油の禁輸などの制裁で追い詰める。ギリギリの譲歩で泣きつく日本に対してアメリカはハルノートで最後通牒を突きつけ、そして日本はやむなく戦争を開始する。日本の宣戦布告を受けてルーズベルト大統領は喜びホワイトハウスで側近と祝杯を上げたと言われている。これで日本が持っている利権が手に入るという事だろう。

19世紀欧米列強は既にグローバル資本の手中に有った。明治になって日本もその仕組みに組込まれた。どこの国もみなグローバル資本に借金を返済していたが、日本はそこから抜けようとして戦争で元に戻されたのだった。
始まりは真珠湾では無かった
2015.12.05
ちょっと早いけど12月8日は大東亜戦争開戦の日。太平洋戦争はアメリカがこの戦争を語る時の呼び名だし、第二次世界大戦はヨーロッパの戦争も含まれる。日本は当時この戦争を大東亜戦争と呼んでおり、私は日本人なのでこの戦争を大東亜戦争と呼ぶ事にした。

日本軍による真珠湾攻撃は知っていたけれど、同時にマレー半島で上陸作戦が行われた事を私は今まで知りませんでした。奇襲攻撃は同時に開始する必要があり、同日のハワイが早朝でマレーが深夜のタイミングとなったそうです。実際には真珠湾攻撃よりも1時間20分早くマレー半島のコタバルで上陸作戦が開始された。実はその前日12月7日の午後に日本陸軍上陸部隊の大船団を発見したイギリス軍の偵察機が日本軍により撃墜されており、それが一番最初の米英軍側の被害だった。

コタバル上陸後、日本軍は破竹の勢いで進軍し東南アジアからイギリス軍、オランダ軍、アメリカ軍を追い出した。フランス軍は日本と戦う前にドイツに破れ撤退していた。シンガポール攻略で日本の戦死者が約1,700名に対してイギリスは5,000名、捕虜は10万人に及びイギリス軍史上最大の降伏となった。その後香港も陥落しイギリスの植民地帝国は崩壊した。戦後日本軍が撤退し再びイギリスの植民地となるが、同じアジア人の日本軍にイギリス軍やオランダ軍が叩きのめされたのを目の当たりした現地の人々の間には民族主義が盛り上がり、戦争で疲弊したイギリスにもはや遠くの植民地を維持する力は無くなり、東南アジアの国々は独立してゆく。

戦争はすべきでないし、当時の日本軍が行った事を正当化するつもりも無い。大東亜戦争により多くの命が亡くなった事はとても残念だ。しかし、日本がイギリス軍と戦った事が後の東南アジアの国々の独立に役立ったのはせめてもの救いかも知れない。
トルコ侵犯機撃墜の裏側
2015.12.04
トルコが露軍機を撃墜した時、露軍機がトルコ領空を侵犯したのは17秒間だったらしい。明らかな脅威とは言えない侵犯機の撃墜は国際法違反とのこと。さらに、衛星写真の分析でISISなどテロリストの油田から原油を積んだタンクローリーがトルコに原油を密輸しているのが分かった。しかもエルドアン大統領の息子の会社がその原油を産地偽装して外国に売って儲けている。

NATOに加盟した時トルコの政権は世俗派だった。しかし今の政権はイスラム教なのでNATOとの距離も微妙。日本には何かと縁のあるトルコを応援したいところだが現政権のままでは状況は厳しそうだな。

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