始まりは真珠湾では無かった
2015.12.05
ちょっと早いけど12月8日は大東亜戦争開戦の日。太平洋戦争はアメリカがこの戦争を語る時の呼び名だし、第二次世界大戦はヨーロッパの戦争も含まれる。日本は当時この戦争を大東亜戦争と呼んでおり、私は日本人なのでこの戦争を大東亜戦争と呼ぶ事にした。

日本軍による真珠湾攻撃は知っていたけれど、同時にマレー半島で上陸作戦が行われた事を私は今まで知りませんでした。奇襲攻撃は同時に開始する必要があり、同日のハワイが早朝でマレーが深夜のタイミングとなったそうです。実際には真珠湾攻撃よりも1時間20分早くマレー半島のコタバルで上陸作戦が開始された。実はその前日12月7日の午後に日本陸軍上陸部隊の大船団を発見したイギリス軍の偵察機が日本軍により撃墜されており、それが一番最初の米英軍側の被害だった。

コタバル上陸後、日本軍は破竹の勢いで進軍し東南アジアからイギリス軍、オランダ軍、アメリカ軍を追い出した。フランス軍は日本と戦う前にドイツに破れ撤退していた。シンガポール攻略で日本の戦死者が約1,700名に対してイギリスは5,000名、捕虜は10万人に及びイギリス軍史上最大の降伏となった。その後香港も陥落しイギリスの植民地帝国は崩壊した。戦後日本軍が撤退し再びイギリスの植民地となるが、同じアジア人の日本軍にイギリス軍やオランダ軍が叩きのめされたのを目の当たりした現地の人々の間には民族主義が盛り上がり、戦争で疲弊したイギリスにもはや遠くの植民地を維持する力は無くなり、東南アジアの国々は独立してゆく。

戦争はすべきでないし、当時の日本軍が行った事を正当化するつもりも無い。大東亜戦争により多くの命が亡くなった事はとても残念だ。しかし、日本がイギリス軍と戦った事が後の東南アジアの国々の独立に役立ったのはせめてもの救いかも知れない。

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