My First Seaplane
2017.08.20
アリゾナに出張があったのでその後一週間夏休みを取って飛ぶ事にしました。しかし真夏のアリゾナが殺人的な暑さなのは知っていたので、涼しい北の方のシアトルで過ごす事にしました。シアトルは湖水が多くSeaplnaeが盛んなのは聞いていましたが、慣れない事をして事故でも起こしたら嫌だと思い現地に行くまでSeaplaneに乗るつもりは有りませんでした。しかし湖のあちこちで離着水しているSeaplneを見て乗りたくなり結局飛ばしてきました。

終戦の日
2017.08.15
 ドイツは国際資本の支配から脱却する為に戦争をした。日本は明治以来国際資本の支援を受けながら戦争をしてきたが満州の開発で国際資本を排除し敵対してしまった。ドイツはアメリカ企業の支援を受けながらヨーロッパをほぼ手中に納めた。日本は朝鮮、台湾、グアム、満州、支那北部、仏印(現在のベトナムやカンボジア)などを支配した。もしその状況がもう数年継続したらドイツと日本は支配地域からの天然資源入手経路を確立し、アメリカに匹敵する工業力や物量を手にしていたかも知れない。国際資本としてはそうなる前にドイツと日本を潰す必要があった。

 国際資本はアメリカを参戦させドイツと日本を潰す事に成功した。今となっては初めから負け戦のように思わされているが、実際は結構きわどかったのではないかと思う。では何が勝敗を分けたのか?やはり原子爆弾の開発成功が鍵だったと思う。当時ドイツも日本も原子爆弾の研究をしていたが途中で諦めてしまった。もし日本とドイツが諦めずに研究を続けアメリカより先に原子爆弾の開発に成功していたら、間違いなく日本とドイツはアメリカとの戦争に負ける事は無かっただろう。

 アメリカ及び国際資本はその後の支配を有利に進める為に日本に原子爆弾を落とす必要が有った。昭和20年の3月頃から日本は外交ルートでアメリカに対して講和を打診していたがアメリカは黙殺した。実戦で原爆の力を示すまで戦争を終わらせる訳には行かなかったのだ。アメリカは昭和20年7月16日に漸く実験に成功し8月に広島と長崎にそれぞれ起爆方法の違うウラニウム型とプルトニウム型を使用してアメリカの核軍事能力を示す事に成功。そして8月15日、漸く日本の降伏を受け入れて戦争を終了した
Hybrid Airport
2017.08.05
 今回BFRでCFIに教えてもらい初めて知ったのですが、SEAはなんとClass BだけでなくClass Dの要素も持っているのです。VOR SEAの125から140と175から290の間にVORの円と微妙にズレてClass Dの点線があり-30がブラケットで囲まれています。なのでPuget湾上空のClass Bが2,000ft以上や3,000ft以上であっても青い点線の内側を通過する時はSEAのタワーとの交信が必要です。

 VOR SEAの125から真上にClass Dの点線が延びているはずなのですが他の記号や文字で隠れていて見えません。その上VOR SEAの075辺りから左斜め上にClass Dの点線が見えます。こ点線の東側はBFIのAirspaceですが西側はSEA Class DのAirspaceなのです。地元以外の人だと気付かずに侵入してしまう事がよくあるそうです。こんなトリッキーな空港は初めて見ました。

サンフランシスコ
2017.08.03
米国出張の途中サンフランシスコで乗り継ぎが有ったので少し時間を作りサウサリトのお気に入りのレストランで昼食を取った後久しぶりにゴールデンゲートブリッジを眺めて来た



       

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