平成南海大地震
2018.06.26
 6月12日千葉沖で北米プレート6センチスリップ、18日大阪北部で震度5強、22日新燃岳噴火、そして今日6月26日広島や島根で震度4、だいぶ地震や噴火が発生する間隔が短くなってきた気がする。ついに平成南海大地震が近づいてきたか!?

 今年の夏は静岡から九州に掛けて太平洋沿岸部に行く際は津波の避難場所を確認しておいた方が良いかも。明応地震や宝永地震の津波で被害に遭った町に滞在する場合は、昔の津波の被害状況を調べて万が一に備えておいた方が良いかも。

 彩雲(虹色に染まった雲)、発光現象、温泉や湧き水の枯渇や濁りなどの異常、混信やノイズなどの電波障害、生き物の異常行動、などなど身の回りで普段と違う事があったら覚えておくと後で予兆の例として使えるかもしれない。
フクシマからハマオカ
2018.04.15


 3.11の震災の後、過去に起きた地震を調べ日本では3.11に匹敵する地震や津波が何度も起きていた事を知った。なかでも1498年に起きた明応地震は鎌倉の大仏殿が倒壊して津波で流失したり、淡水湖だった浜名湖が津波に呑まれて海と繋がるという凄まじさが記憶に残る。明応地震もそうだが宝永地震や慶長地震などM8.0を越える大地震が起きてから数年後にもう一度M8.0を越える大地震が起きている。2011年に三陸沖でM9.0の地震が起きて今年で7年が過ぎた。過去の大地震同様そろそろ東南海でM8.0を越える地震が起きるのではないかと心配している。そしてもし明応地震と同じ様に遠州灘で大津波が発生したら、こんどは浜名湖が呑まれるだけでは済まない。直ぐ横の砂浜には原子炉を5基備えた中部電力浜岡原子力発電所がある。




 福島第1原発の教訓から浜岡原発では高さ22メートルの防波壁が作られ高台に非常電源用発電機も作られた。5基ある原子炉のうち1号機と2号機は2009年に廃炉が決まり運転を停止、3号機は2010年に定期検査のため停止、4号機と5号機は2011年に総理大臣の指示で停止、現在浜岡原発の原子炉は全て停止している。しかし原子炉が停止しても核燃料が冷めるまで時間がかかるので完全に冷えるまでずっと冷却し続ける必要がある。もし十分冷えきる前に冷却が出来なくなると福島のような事故になってしまう可能性がある。浜岡原発の原子炉の核燃料は停止から7年でどのくらい冷めたのか、何年ぐらい経ったら冷却が不要になるのかがとても知りたい所だ。




 もし明応地震と同じ様に東南海でM8.0を超える地震が起きて大津波が来たら果たしてこの薄っぺらい防波堤は持ちこたえられるのだろうか。きっと持ちこたえてくれると信じたいが我々は3.11で想定外という言葉を何度も耳にした。もしかしたら来るかもしれない次の地震と津波でも想定外の事故が起きた場合に備えておかなければならない事を我々は学んだはずだ。




 もし浜岡原発が地震と津波で冷却不能になり爆発したらどうなるか。その日の風向きと風速に依るが福島のケースを参考にすれば、放射性物質を被らない為には原発から最低でも50Km、出来れば100Kmくらい離れた所に避難しておきたい。大体風は西から東に向かって吹いているので、もし東南海でM8.0を超える地震が起きた時に静岡市や伊豆半島など浜岡原発の東側にいたら、まずは北に向かって移動し原発から十分な距離を取る。それから風向きをみて西か東に移動すると良いのではないか。浜松や豊橋など西側にいても安全をみて名古屋方面へ移動しておくと良いのではないか。




 草津白根山の噴火、新燃岳の噴火、島根の地震、昨日は愛知、そして今日も北海道と最近日本のあちこちで地震や噴火が起きている。もしかすると近いうちに東南海で大地震が発生し想定外の津波が浜岡原発の防波壁を超えるかも知れない。そしてまた原子炉が水素爆発する映像を再び見る事になるかも知れない。今のところ全て想定外だが。
伊勢志摩サミットは危ないかも?
2016.04.16
以前から1400年代の明応地震と1700年代の元禄と宝永地震では東日本で大地震が起きてから数年後に西日本でさらに大きな地震が起きていたので、東日本大震災から数年後に東南海で大きな地震が起きるのでは?と思っていました。今回の熊本の地震は中央構造線の西端で起きています。もしかすると中央構造線沿いの他の何処かで大きな地震が起きるのではないかと心配しています。例えば明応や宝永の時と同じく、近いうちに紀伊半島沖でM8.0以上の地震が起きて東海、南海、九州に大津波が来るのではないか?伊勢志摩辺りが地盤沈下するのではないか?もしかしてサミットの最中に起きたりして?

参考までに平安時代以降のM8.0以上の地震をリストアップしてみました。沢山のビルや高速道路が倒壊した阪神大震災のマグニチュードは7.3と低く、今回の熊本地震と一緒で直下型で震源の浅い地震は揺れが大きく地上の被害が大きい事を表しています。

平安時代
869年 貞観地震(M8.3)東北 *311と同じレベルの津波
887年 仁和地震(M8.5)近畿、東海、東南海 *京都、摂津で死者多数、八ヶ岳崩壊

1096年 永長地震(M8.5)東海、東南海 *東大寺の鐘落下、伊勢、駿河で津波
1099年 康和地震(M8.5)南海 *土佐で地盤沈下田畑海没

鎌倉時代
1495年 明応地震1 (?)関東 *鎌倉大仏殿崩壊
1498年 明応地震2(M8.4)東海、東南海 *伊勢、駿河で津波、浜名湖が海と繋がる

江戸時代
1605年 慶長地震(M8.0)関東、東海、南海 *関東から九州まで津波、紀伊、阿波、土佐、八丈島で甚大な被害
1611年 慶長三陸地震(M8.1)東北 *伊達領で大津波、死者5,000人

1703年 元禄地震(M8.2)関東 *関東南部に津波、死者6,700人、潰家流家28,000軒
1707年 宝永地震(M8.6)東海、東南海 *関東から九州まで津波、富士山噴火、死者2万人以上、倒潰流出家屋8万軒

1854年
 12月23日 安政東海地震(M8.4)*房総から四国に津波
 12月24日 安政南海地震(M8.4)*紀伊、土佐で津波、串本で津波11m、大阪湾で川逆流、余震9年間で2,979回
 *35時間の間にM8.4の地震が二回発生

明治時代
1896年 明治三陸地震(M8.5) *三陸に津波、死者2万人

大正時代
1923年 関東大震災(M7.9) *関東地方南部で震度6、死者14万人

昭和
1933年 昭和三陸地震(M8.1) *大津波、死者3,000人
1946年 南海地震(M8.0) *房総から九州に津波
1952年 十勝沖地震(M8.2) *北海道から東北に津波
1958年 択捉沖地震(M8.1) *太平洋岸に津波
1963年 択捉沖地震(M8.1) *択捉島から宮城まで津波

平成
1994年 北海道東方沖地震(M8.2)
*1995年 阪神大震災(M7.3) *兵庫県南部で震度7、ビル高速道路倒壊、死者6,000人
2003年 十勝沖地震(M8.0)
2011年 東日本大震災(M8.4) *北海道から関東にかけて大津波、死者19,000人
2015年 小笠原諸島西方沖地震(M8.1)

黒沢明の予知夢?
2016.03.16
久しぶりに黒澤明の映画「夢」を観た。制作は1990年で全8話のオムニバス形式。6話目の「赤富士」で、富士山が爆発しパニックになって逃げ惑う人々の様子は311の大地震を思わせる。富士山の背後に幾つも立ち上る火炎は6基の原子炉の爆発だという。そこから流れてくるプルトニウム、ストロンチウム、セシウムの煙を必死で払いのけ続ける男性、「絶対安全だって言っていたのに・・」と嘆く女性、それを聞いて謝り反省し海に身を投げる原発の関係者。まるで予言のような映画だけど、最後の原発関係者の部分だけ当ってない気がした。

ヨウ素ガス拡散
2015.03.14


2011年3月11日、地震発生時に稼働していた福島第1原発の1号機2号機3号機は自動停止。3月12日、1号機の建屋が爆発。3月14日午前、3号機建屋が爆発。3月14日、2号機の圧力が異常上昇、全燃料棒露出、大規模な放射線量上昇が観測される。3月15日、2号機の格納容器圧力が設計値を超え、異常音が発生し圧力抑制室の圧力が低下。

横須賀市には放射線量を観測するモニタリングポストが8ヶ所に設置されており、インターネットで観測データを公開している。原発が爆発した後一つのポストのグラフを見てみてみたら、14日は線が縦軸の上限を突き抜けていた。この日私は仕事の打ち合わせの為に東京まで行った。異常事態でダイヤが乱れた朝のJRはすし詰め状態だった。フランス政府は同胞に自宅の窓の隙間に目張りをして暫く外出しないようにと通達を出していたらしい。横須賀基地の原子力空母は太平洋に避難した。そんな中でも満員電車に乗って働きに行く日本人が沢山いた。私が打ち合わせ現場に到着すると先方からドタキャンの連絡があった。だったら前日にして欲しかった。そうすればこんな高線量の日に出歩かずに済んだのに。

原子炉建屋が爆発する映像は衝撃的だった。これで世界は終わりかとさえ思った。しかし本当は爆発しなかった2号機による汚染が一番ひどかったようだ。このグラフもそれを裏付けている。圧力抑制室が損傷したのは2号機だけで今もそこから汚染水を漏洩している。怖いのはその状況にみんな興味を持たず慣れてしまっている事。しかもこんな状況の中で原発を再稼働させるなど正気の沙汰とは思えない。
大地震は二度来る?
2015.02.14
明応の地震は明応4年(1495年)と明応7年(1498年)の二回有ったという説と、明応4年の記録は明応7年の間違いだという説があるが、二回あったという説を信じれば明応4年の震源は関東近辺で明応7年の震源は東南海地方となっている。それから約200年後の江戸時代1703年の元禄地震の震源は関東で、1707年の宝永地震の震源は紀伊半島沖つまり東南海地方である。元禄地震では東北から関東にかけて津波の被害が広がった。その4年後の宝永地震の被害は甚大で津波は上海まで達したという記録がある。2011年に東日本で地震から4年後の今年、もしかすると311を上回る規模の地震が東南海地方で起きる可能性が有るのでは?と心配です。明応地震では淡水湖だった浜名湖に津波が来て海と繋がったそうです。もし明応や宝永と同じ様に311の数年後にもっと大きな地震が東南海で起きて、津波で浜岡原発が福島原発と同じ様な事故を起こしたら・・・それでも数年後に日本政府は再稼働と言い出すんだろうな。
安定ヨウ素剤備蓄
2014.10.04
2011年3月10日に横須賀市役所は備蓄している安定ヨウ素剤24万錠の有事の場合の配布の仕方に関する講習会をメディア公開で行う、という告知が311震災の頃に市役所のウェブサイトに掲示されていた。福島第一原発の爆発後に横須賀市のモニタリングポストの値は急上昇し14日には計測範囲を超えた。私はいつ市役所が安定ヨウ素剤を配布するのかと待っていたが、その後配布されたという話しを聞く事は無かった。1,000年に一度起きるかどうかという災害時に配らないなら、役所は一体なんの為に備蓄をしているのか?全く無駄ではないか!そんな無意味な事をする動機がずっと理解出来ずにいた。

最近になって漸く何故311の際に市が備蓄していたヨウ素剤が私たちに配布されなかったのか理解した。横須賀市のヨウ素剤24万錠の備蓄は米軍基地で原子力空母の原子炉から放射能漏れが起きた場合の為だったのだ。それとは別に備蓄がありそれは久里浜の核燃料工場から放射能が漏れた場合に数キロ圏内に配布する為で、そちらは市では無く県の管轄との事。市の人口が約40万人なのに備蓄が24万錠と少ないのが不思議だったが、結局市民全員が対象ではなく基地周辺だけ、しかも空母起因の事故が対象だったのだ。2011年3月14日に横須賀市のモニタリングポストの数値を振り切らせた放射能が漏れ出した元は遠く福島原発だったので、市役所も県も自分たちの管轄では無いという事だったのだろう。

米軍基地に勤務している日本人の友人は当時職場で配布がありヨウ素剤を入手していた。もしかするとそれは市役所が備蓄していたものだったのかも知れない。だとしたら無駄にしなかっただけましだが、もしそうでなかったら、当の原子力空母は基準を超えた放射能を検知して太平洋の沖遠くに避難して甲板を洗浄していたと言うのに、横須賀市は市民がヨウ素ガスに晒されているのにヨウ素剤を持て余していた事になる。こんな馬鹿げた話しがあるだろうか?

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