ルビコン川は手前にあった
2016.06.25
1941年の今日6月25日、大本営政府連絡懇談会で南部仏印への進駐が決定しました。この決定で日本は米国との関係において引き返せない点を超えてしまい戦争に至ったと言われていますが、これは一つの通過点で米国はもっと早い時点で日本を戦争に追い込もうと決めていたのではないかと思います。1924年に日本を仮想敵国としたオレンジ計画が米国の陸軍合同会議で採択されており、この計画は1919年に立案されており、太平洋戦争で米国が実施した作戦はほぼこの計画に沿っていたと言われています。アメリカは1920年前後には日本と戦争する事を決めていたのではないかと思います。

仏印とはベトナムとカンボジアの辺りの事で、当時フランスの植民地でした。インドネシアはオランダの植民地でフィリピンはアメリカの植民地でした。現在南シナ海に支那が基地を作り周辺国と領有権の問題が起きていますが、欧米諸国が周辺の国全てを植民地にして資源や農産物を搾取していた事に比べれば、支那による南シナ海の領有権の主張は遥かに小さな問題に思えます。

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