終戦の日に思う事
2013.08.15
アメリカがイラクと2回目の戦争を始めた時、私はアメリカに住んでいました。スポーツバーの壁にかけられたテレビにホワイトハウスの執務室にいるブッシュ大統領が映し出され、これからイラクと戦争をすると演説をしていました。スクリーンの映像が赤外線カメラで撮られた緑色がかった夜のバグダッドのライブ映像に替わり、暫くするとイラク軍がアメリカの戦闘機を迎え撃つ無数の弾丸の光で夜空が埋め尽くされました。それを見てスポーツバーにいたアメリカ人たちは拍手をして歓声を上げました。まるでフットボールの試合でも見ているかのように。その後アメリカ軍によりフセイン元大統領は逮捕され、屈辱的な姿を世界中に晒されすぐに処刑されました。私が勤めていた会社の現地社員の中にはフセイン元大統領は悪の親玉なので処刑されて当然と言う者もいました。彼らは会った事も無い人を心の底から悪人だと信じていました。しかし、その戦争を始めた理由でありフセイン元大統領を処刑した根拠である大量破壊兵器は存在しませんでした。大量破壊兵器は建前の話で戦争の本当の理由はイラクの石油の利権の奪取でした。アメリカが独占していた利権の期限がせまり、期限が切れた後フセインはロシア、中国、フランスなどにも利権を分ける話をしていたので、そうなる前にアメリカは手を打ったのです。フセインから石油の利権を得るはずだった各国は、イラクがアメリカに侵略されフセインが処刑されるのを座して見守るしか有りませんでした。

70年前アメリカが日本と戦争をした理由は利権の獲得では無く、将来自分の利権を脅かす可能性の在る国を壊滅させる事でした。だから講和はあり得ず、二度と戦争をする事が出来ないように日本を完膚なきまでに叩きのめすのが目的でした。世界をリードする国際連盟の常任理事国だった日本は戦後一転悪の象徴にして餓死寸前の貧しい国となりました。アメリカは東京裁判で「日本人は好戦的民族で世界制覇をもくろみ周辺諸国を侵略した」という理由で戦犯を処刑しました。戦争で負けた国を率いていた者が勝った国に殺されるのは歴史上繰り返されてきた事です。しかし、適用する法律も無いのに戦争で負けた国の者を犯罪者として裁くのは合理的な根拠が見つかりません。アメリカが東京裁判で戦争犯罪人を裁いたのは、日本と戦争をした目的を正当化し後世の日本人や世界中の国々の人々に悪の印象を植え付ける事が目的だったのです。私は物心ついたときからアメリカは正義で戦前の日本は軍国主義に覆われた暗黒の時代だと思い込んでいました。いつの間にかそう刷り込まれていたのです。しかし、歴史を知れば知るほど自分の持っているイメージと戦前日本の歴史が噛み合なくなりました。そしてアメリカに住みアメリカという国に興味を持ち色々と調べて行くうちに自分が間違った知識を持っていた事に気がつきました。ここでアメリカを批判するつもりは有りません。ロシアも中国もフランスもイギリスみな同じような事を今でも世界で展開していますし、日本も明治から終戦までアジアで同じ事をしていました。

恥ずかしながら学生の頃は歴史なんて自分とは縁の無い遠い世界の話と思っていましたが、今では自分の生活に直結していると考えるようになりました。歴史は社会の一つの側面であり、政治や経済とも密接に結びついています。出来るだけ多くの人たちが正しい知識を持つ事が、社会を良い方向へ進めて行く力になるのだと思います。誰かが言っている事を信じるのではなく、客観的な事実だけを並べて合理的な判断を下せば誰もが納得する共通の認識を持てるはずです。自分の国に誇りを持って生きて行ける社会を築いて行きたいですね。今日は終戦記念日。戦争にまつわる事を自分なりにいろいろと考えてみようと思います。
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