100万ドルの夜景
2017.12.11
インターナショナル・コンチネンタルホテルのラウンジで暮れ行く香港金融中心ビル街の景色を見ながらソービニョンブランを堪能



 
Manta
2017.09.22
友人に誘われパラオでダイビング。初日の一本目エントリーして直ぐ二枚のマンタに遭遇。三日間9本の運を全てここで使い果たした。

9.11直後のアメリカのGA
2017.09.12
久しぶりに2001年9月11日の自分のウェブサイトの掲示板の過去ログを読み返してみた。

9月12日MYFへ行きスキャナーでATISを聞いたら通常の気象情報の後に「US全土で軍とレスキュー以外の飛行機は着陸していなければならない」と付け加えられていて、いつも割り込む隙もないSoCALアプローチは沈黙。

9月15日SDMで旅客機が離陸しておりMYFでセスナが離陸していた。ATSIを聞くとさっきまで「全てのGAが禁止」だったのが「Law EnforcementとMedicalを除く全てのVFRフライトが禁止」に変わっておりGAのIFRが再開。きっとフライトの途中で下ろされた機体を返すための対策だったと思われる。しかしXCの途中で帰れなくなった機体のレンタル料はどうなったのか・・・。

9月18日MYFの自分が所属するフライングクラブのオーナーやインストラクターがテレビの取材を受け、犯人のうち二人が同じクラブで訓練していた事を知る。

9月19日MYFのパイロット用品屋にFBIの捜査が入る

9月30日ATISを聞くと「IFR and VFR flight is permitted with restrictions」となったのでFSSに電話すると「You can not fly」と言われた。

10月23日テロ後初めてMYFでT&Gをする。たった6週後に一般人が普通に飛べる様になる。さすがアメリカ!
My First Seaplane
2017.08.20
アリゾナに出張があったのでその後一週間夏休みを取って飛ぶ事にしました。しかし真夏のアリゾナが殺人的な暑さなのは知っていたので、涼しい北の方のシアトルで過ごす事にしました。シアトルは湖水が多くSeaplnaeが盛んなのは聞いていましたが、慣れない事をして事故でも起こしたら嫌だと思い現地に行くまでSeaplaneに乗るつもりは有りませんでした。しかし湖のあちこちで離着水しているSeaplneを見て乗りたくなり結局飛ばしてきました。

終戦の日
2017.08.15
 ドイツは国際資本の支配から脱却する為に戦争をした。日本は明治以来国際資本の支援を受けながら戦争をしてきたが満州の開発で国際資本を排除し敵対してしまった。ドイツはアメリカ企業の支援を受けながらヨーロッパをほぼ手中に納めた。日本は朝鮮、台湾、グアム、満州、支那北部、仏印(現在のベトナムやカンボジア)などを支配した。もしその状況がもう数年継続したらドイツと日本は支配地域からの天然資源入手経路を確立し、アメリカに匹敵する工業力や物量を手にしていたかも知れない。国際資本としてはそうなる前にドイツと日本を潰す必要があった。

 国際資本はアメリカを参戦させドイツと日本を潰す事に成功した。今となっては初めから負け戦のように思わされているが、実際は結構きわどかったのではないかと思う。では何が勝敗を分けたのか?やはり原子爆弾の開発成功が鍵だったと思う。当時ドイツも日本も原子爆弾の研究をしていたが途中で諦めてしまった。もし日本とドイツが諦めずに研究を続けアメリカより先に原子爆弾の開発に成功していたら、間違いなく日本とドイツはアメリカとの戦争に負ける事は無かっただろう。

 アメリカ及び国際資本はその後の支配を有利に進める為に日本に原子爆弾を落とす必要が有った。昭和20年の3月頃から日本は外交ルートでアメリカに対して講和を打診していたがアメリカは黙殺した。実戦で原爆の力を示すまで戦争を終わらせる訳には行かなかったのだ。アメリカは昭和20年7月16日に漸く実験に成功し8月に広島と長崎にそれぞれ起爆方法の違うウラニウム型とプルトニウム型を使用してアメリカの核軍事能力を示す事に成功。そして8月15日、漸く日本の降伏を受け入れて戦争を終了した

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