硫黄島の戦い
2016.02.16
今から71年前の今日、昭和20年2月16日、アメリカ海軍は硫黄島に上陸準備砲爆撃を開始。艦載機による空爆と艦砲射撃は三日間続き19日にアメリカ海兵隊が上陸を開始、所謂硫黄島の戦いが始まった。戦闘は1ヶ月半続き3月26日に日本軍による組織的な戦闘は終わる。日本軍20,933名のうち20,129名が戦死、アメリカ軍は6,821名の戦死を含む28,686名が死傷。アメリカ軍の上陸後たった三日間で戦死傷者数がノルマンディ上陸作戦を上回るほど大東亜戦争の中でも屈指の激戦だった。双方甚大な損害となりアメリカ軍幹部をして勝者無き戦いと言わしめた。クリントイーストウッド監督渡辺謙主演の「硫黄島からの手紙」(2006年)にこの戦闘が描かれているのでご存知の方も多いと思います。

戦後日本政府による遺骨収集帰還作業が始まったが未だ一万柱以上が未帰還のまま。2013年4月14日安倍晋三が日本の首相として初めて硫黄島を訪問した時、彼は飛行機を降りるなり地面に膝をつきその下に眠っている戦没者を弔った。コンクリートの下に埋れているお骨を回収する為に滑走路の舗装を剥がす事も検討されている。占領後硫黄島に配備された戦闘機は日本を空襲する爆撃機の援護にあたり、また故障や損傷した爆撃機が不時着する基地として硫黄島は活用された。アメリカ軍は日本本土で200以上の都市を空襲し30万人を越える日本の一般市民が殺された。硫黄島の戦いを生き延びた人も硫黄島で亡くなった人も、きっと硫黄島を守りきれず無念だったろうと思います。

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